どりあの新城ミッシング~トップ20 (その3)

今まで伝えてきた続きとして、新城から引っ越しをして、名残惜しいものの最後になりました。最初の回はかなり一般的なものでした。二回目は自分自身と直接関わりがあるものがもう少し多かったです。

 

今回は、引き分けもあったりするぐらい、自分の中では甲乙つけがたいものになってきました。大阪に住みながら新城の人々と関わるようになってから、24年間が経ちました。ということは、私の人生の約半分は新城と深く結び合わされています。両親の出身地、そして今も家族がいるミネソタ州に住んでいた年月よりも、新城に住んでいた年月の方が長いです。まさに、私にとっては「ふるさと」です。(うさぎを追っかけたことさえあります。)

 

第7位

住んでいた家と庭

子どもの時から何度も何度も引っ越しをした私にとって、10年以上同じ家に住むことができたのは、まるで奇跡のような話でした。そして、木造のその家が本当に大好きでした。たくさんの時間と労力を費やした庭も大好きでした。引き渡しの前には、一番好きだった窓の傍に座って、大いに泣きました。その家に住んでいなかったら、その庭の手入れをしていなかったら、日本についての理解も深まらなかったし、全国の弁論大会で外務大臣賞を取るほどのスピーチをする題材もなかったのです。新城市のあの一軒家が私の人生を変えたと言っても過言ではないのです。あの家に住むことができて本当によかったです。

 

第6位

新城の旧道の町並み

いわゆる「旧道」は、バイパスが通る前まではメインの道路でしたが、車社会になってからは、賑わいが一気に減り、今となってはシャッターがしまったままの店が増えています。けれども、外国人にとっては、なんとも言えない、「ジス・イズ・ジャパン」を漂わせている風景です。3年前の女性議会2年前の市民まちづくり集会でもプレゼンテーションをしましたが、この町並みを高度経済成長期の証として、「昭和街(しょうわまち)」、生きた博物館として保存すべきだと強く思っています。大好きな景色です。すべてが取り壊され、デザイン性のない平成的な建物や空き地ばかりになっていくのを見ると、心が痛いです。

(これらの写真は早朝に撮りましたのですべてのシャッターが下りています)

 

私はただのアイデアマンであって、リソースも知識もないのですが、新城市のどなたかが地元の財産に早く気づき、保存活動を始めることを祈るばかりです。

 

第5位

「作り過ぎたからもらってくれる?」

新城でとてもよく聞くセリフの一つに、「〇〇を作りすぎたから、もらってくれる?」というのがあります。英語の生徒のお母さんたちからも、教会の人たちからも、時には誰か知らないけど玄関先においてあったり、そして特に大人の英語の生徒から、旬の野菜やフルーツをもらうのがとても嬉しかったです。旬の野菜やフルーツは何があってもスーパーで買わないように決めていました。少しでも折れて、みかんとかきゅうりとかを買ってしまった時もありました。そうすると、ほぼ間違いなく、時には数時間以内に、やっぱり、もらいました!!時には冷蔵庫や台所がナスや大根でパンパンになり、クックパッドで「〇〇大量消費」を検索するぐらいでした。それでも、私たちがもらったものはほとんど無駄にせず食べていました。旬のものを食べるのが、体にいいし、美味しいです。特に新玉ねぎが本当に甘いことを知りました。本当に甘くて美味しい人参も存在することがわかりました。これらの新鮮な、採りたての大量な野菜がもう、本当に恋しいです。

 

第3位(引き分け)

新城教会新城市役所

ずっと関わっていた2つの活動の場です。順番がとても付け難いです。新城市に元々引っ越して行ったのが、新城キリスト教会のおかげでした。一人でも多くの人が聖書が語る神様にある愛と平安と希望を知ることができるように、斬新な試みをしている教会です。日本人が主催者となるキリスト教の集会のために、甲子園球場を3日間借りたりとか、日本武道館を10日間連続で借りたりとか。新城教会を創立した故滝元明先生はキリスト教会の中では全国的に有名な牧師でした。3年前に天に召されましたが、お葬式と感謝記念会には、全国からのべ1400人の方々が弔意を表しに訪れました。滝元明先生の家族を始め、教会員の皆様、礼拝そのもの、通訳の働き、そして今でも全国から大勢のクリスチャンが押し寄せて来るイベントが大好きです。これからも行くことがあるでしょうけれども、あれだけ人生の大きな一部だったのに、急になくなってしまったら寂しいです。

Shinshiro Church

田植え後の田んぼに映る新城教会

市役所との関わりも、昔からでした。1998年の最初のニューキャッスルサミットのために通訳をしていました。その当時から国際交流協会や郷土研究会にも参加していました。主人の留学のために渡米して戻ってきた後、再び本格的に関わるようになったのは、2008年に「いいじゃん新城」というケーブルテレビの市政番組のレポーターとして応募したのがきっかけでした。それから定期的にナビゲーターとして出演するようになっただけではなく、国際交流協会、ニューキャッスルアライアンス、ユースの会、女性議会、そしてまちづくり集会に参加してきました。長女と次女が新城市若者議会の委員になっていた時は、毎回傍聴に行きました。新城市がやろうとしている画期的なことが本当に面白かったのですが、それにほんの少しでも貢献できたのがとても幸せでした。なんとかして10月のニューキャッスルアライアンス会議に行って、通訳のお手伝いができたらと考えています。

引っ越す前に「いいじゃん新城」のTEESケーブルテレビの制作スタッフと市役所の担当課、そしてニューキャッスルアライアンスの担当の皆様が送別会をしてくれましたが、皆様に会えなくなるのも寂しかったですが、一番泣けてきたのは何かというと、これから参加できなくなること、そして何よりも、こんなにすばらしい機会をこんなにもたくさん与えてくださった新城市に感謝な心からでした。みっともなかったですが、感謝、感激でたくさん泣けてきました。

Shinshiro City Hall Construction

私が引っ越す前には新庁舎がまだ建設中でした

面白いことに、新城教会にしても、新城市役所にしても、画期的なことをやるのが共通しています。ある意味、歴史的に、設楽原の戦いにも見えるように、「新しい」ことをするのが「新城」の町としての賜物、秘めた才能と言えるかもしれません。

 

第2位

四谷の千枚田を始め、田舎の風景

Yotsuya-no-Senmaida

今いるところは、どこを見ても家、マンション、高層住宅、家、マンション、ビル・・・です。それぞれの家に庭があったり、近くにちょっとした森が残っていたりと言っても、すぐにまた家、マンション、高層住宅・・・。田んぼが続く道のり、桜淵公園の景色、三方に山に囲まれている町、そしていくつも流れている川の風景が見たいです。心の癒やしになります。

去年の1月に、外国のお友だちを四谷の千枚田に連れて行ったら、保存会を立ち上げた小山舜二さんにお会いして、多くの面白い話を聞きました。彼は様々な講演会に呼ばれたりして、お忙しいはずですが、なぜかその後、毎回行く度にお会いします。とても嬉しいです。この前も、行く機会があって、新城から引っ越しをしたんですよとお話をしました。それから少し散歩をして、帰り際に耕運機に乗っていた小山さんが遠くから「お元気でね!」と、手を振って叫んでくれました。こんなステキなところを知ることができて、またそれを作りあげたと言っても過言でない人との出会いが与えられて、本当に感謝、感謝で・・・また泣けてきました。

O-genki de ne

(まったくの余談ですが、この前、娘の学校でのイベントで、自己紹介で愛知県から引っ越してきたと言ったら、6年間隣町の豊川市に住んでいた方とお会いしました。「ねえ、あの段々畑知っていますか。小山さんって、知っていますか。」と聞かれて、まあ、こんなところで超ローカルな話ができるとは思いもよらなかったので、とてもびっくりしたと同時に、とても嬉しかったです。)

 

とうとう一番に来ましたが、皆さん、笑わないでくださいね。

 

(ここでドラムロールの音を頭の中で思い浮かべるべし)

 

 

 

 

 

 

第1位

マルイチのお弁当

Maruichi Bento

新城にマルイチというスーパーがありますが、ここのお弁当が本当に美味しいです。私にとっての「おふくろの味」です。新城に住み始めたころ、マルイチの創業者の奥様、故岡本キヨさんが教会でよく食事を作っていました。和食の作り方を何も知らないこの外国人がほうれん草の胡麻和えの作り方をキヨさんに教わりました。そしてキヨさんが作った豚汁がドッ濃い赤味噌を使っていて、それが本当に美味しかったので、濃い赤味噌に慣れました。今では、我が家では赤を使うか合わせを使うかで喧嘩になるぐらいです。白味噌という存在が許せないぐらい、ドッ濃い赤味噌が大好きです。

そしてマルイチのお弁当は、この岡本キヨさんの味付けがそのまま受け継がれています。私にとってはソウルフード、ストレスが溜まっていると食べたくなる、しかも歩いて3分ぐらいのところにあったので、お昼にマルイチ弁当を買いに行くのが大好きでした。しかも女性にちょうどいい量のお弁当が、税込みで345円。今までも、ブログで書こうと思っていたけど、みんなが買い漁ってしまって私の分がなくなると嫌だと思って、控えていました。でもこれからはどっちみち買えないんだったら、大きい声で叫んでもいいと思います。「マルイチのお弁当はホントーに美味しいです!!!」と。今は一番近いスーパーまで急な階段を下りて片道12分ぐらい、上がるのがそれよりも、もっと時間がかかります。とても気軽に買い物に行けない場所(と言っても、都会にしてはそれでも近い方)だし、そしてやっぱり味が違います!私のソウルフードが食べられなくなったので心が嘆いています。

 

大好きな新城市!これからも時々遊びに行きますので、その時はよろしくお願いします。

 

新城在住の皆様、自分の町の良さをぜひ、知っておいてください!町の将来が皆様の力にかかっていますから!!新城市の元気をみんなで作り上げていってくださいね!

 

16年近く住むことができた新城市。一つの言葉でしか表せないとしたら、私が選ぶ言葉は「感謝」です!