どりあの新城ミッシング~トップ20 (その3)

今まで伝えてきた続きとして、新城から引っ越しをして、名残惜しいものの最後になりました。最初の回はかなり一般的なものでした。二回目は自分自身と直接関わりがあるものがもう少し多かったです。

 

今回は、引き分けもあったりするぐらい、自分の中では甲乙つけがたいものになってきました。大阪に住みながら新城の人々と関わるようになってから、24年間が経ちました。ということは、私の人生の約半分は新城と深く結び合わされています。両親の出身地、そして今も家族がいるミネソタ州に住んでいた年月よりも、新城に住んでいた年月の方が長いです。まさに、私にとっては「ふるさと」です。(うさぎを追っかけたことさえあります。)

 

第7位

住んでいた家と庭

子どもの時から何度も何度も引っ越しをした私にとって、10年以上同じ家に住むことができたのは、まるで奇跡のような話でした。そして、木造のその家が本当に大好きでした。たくさんの時間と労力を費やした庭も大好きでした。引き渡しの前には、一番好きだった窓の傍に座って、大いに泣きました。その家に住んでいなかったら、その庭の手入れをしていなかったら、日本についての理解も深まらなかったし、全国の弁論大会で外務大臣賞を取るほどのスピーチをする題材もなかったのです。新城市のあの一軒家が私の人生を変えたと言っても過言ではないのです。あの家に住むことができて本当によかったです。

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どりあの新城ミッシング~トップ20 (その1)

ド大好きだった新城市から引っ越しをして、2ヶ月が経ちました。荷解きや事務的な仕事はまだまだ完了していません。引っ越す時に当たり前にやる、ガス、電気、水道などの手続きはもちろん済みましたが、それ以外のやらないといけないことでまだ残っているものがあります。10年以上新城に住んでいたので、「退会」や「住所変更」しないといけないところが本当にたくさんあって、まだまだ追いついていません。

新しく与えられた住まいは、新城の家に比べて大きさが半分ぐらいです。それだけだったらまだしも、新城を出る前に、息をつく暇もないぐらい忙しくて、なかなか上手に荷物の仕分け・処分をすることができませんでした。「まあ、いいやぁ~、持って行って、向こうに行ってから整理するしかない」と、そのまま詰めてしまったものが本当にたくさんあります。長女が今、海外へ留学に行っていますので、彼女の部屋が箱でいっぱいになっていますが、なんとかして7月中旬までに片付ければいけないのです。

 

ということで、家にいる時間が多くて、箱を空けながら考える時間がたくさんあります。今住んでいるところはステキな場所ですし、それについては改めて書きたいと思いますが、今回は、頭の中でぐるぐる回っている、「新城のここがよかったなぁ、本当に感謝だったなぁ」というのをリストアップしてみました。特に上位になればなるほど、ランク付けし難いものが多いのですが、話の種のために一応順番にしました。ということで、「どりあの新城ミッシング~トップ20」をお分かちします。

 

が、書いているうちにとても長くなりましたので、少しずつ紹介したいと思います。最初は20位から14位までご紹介します。

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My Mom and Dad Came to Japan! ・ 念願の姫路城と倉敷!

電車や車で通ったことのある都道府県を入れると、今まで行ったことがない日本の県は、4つしかありません。宮崎、鹿児島、鳥取、そして秋田です。要するに、日本はほとんど隈なく行っています。

その中でも、「ここだけはどうしても行きたい!」というリストはとても短かったです。否、3つだけでした:飛騨高山、姫路城、そして倉敷。高山は隣の県で、ずっと前から行きたいのに不思議ですが、行ったことがないです。

でも、この前は、姫路城と倉敷の両方に行くことができました!!

Japan 2017-09

We realized this was the first time we had taken a trip with just the three of us!

4月21日から5月13日まで、父母が3週間、来日しました。私たちが12月にアメリカに行ったばかりでしたが、これからは娘たちが全員高校生になっていくし、留学したりとかで、我が家の5人が全員いて日本に来てもらえる機会がこれからあまりないかもしれないということで、来てもらいました。以前は、2009年にシルバーウィークの晩夏と、2013年(父母)と2015年(母叔母)の春休みに来たことがありました。今回は、まだ経験したことがない季節に来たらどうかということで、ゴールデンウィークに来てもらいました。 続きを読む