7月31日、新城市女性議会に議員として参加しました。とても貴重な体験でした。今日はその時読み上げた文章をここに掲載させていただきます。
2015.7.31
新城市女性議会
どりあ 山﨑ランサム
本日は、女性議会に参加させていただけることを心より感謝します。私は新城市が大好きで、今までもさまざまな形で新城市に貢献しようとしてきました。ですので、新たな形で関わらせていただけるのはとても嬉しいです。
本日私が申し上げたい課題は、女性としてと同時に、外国人、「外の人」の目で新城を見た時に感じること、新城の活性化についての課題です。
20年以上前に、初めて新城の旧道を車で通った時の印象を鮮明に覚えています。「なんとステキな町並みだろう!」 昔の日本がそのまま残っている、威圧感のない町並みだったのがよかったと思います。
この町並みを産んだ「昭和」の時代も今となっては歴史です。「昔」の町並みというと、観光スポットとしてよく取り上げられるものは、江戸か明治時代から残っているものです。けれども、新城の大半の人たちが「ダサい」と思っているこの町並みは、 20年、30年経てば貴重な歴史的財産になります。空襲を受けていない、この昭和の田舎町の町並みが邪魔ではないと、発想を切り替えて、町並みを保存することができれば、「昭和街(しょうわまち)」の「生きた博物館」として、新城市が大人気のツーリストスポットに生まれ変わることができるのではないでしょうか?私はこのような夢を見ています。
平成に入ってからの建物の大半は、四角くてデザイン性に欠けていて、外壁がパネリングというものがほとんどです。なので、 20年後には、「昭和街」の町並みが懐かしくなり、教育的になり、魅力に満ち溢れたものになります。一口に昭和といっても、戦前、戦争直後、経済成長期、バブル最盛期と、様々な「昭和」があります。町並みに60年以上の歴史が現れるところにこそ昭和の魅力があります。
この町並みを保存して活用するためには、「平成化調整区域」「昭和街都市計画特別区域」を作る必要があると思います。最小限残したい場所は東新町の交差点から橋向の交差点までの旧道沿いの地域ですが、平井の交差点から、新城駅前銀座、そして文化会館と市役所まで広げることができたら最も理想的だと思います。
この特別区域にある建物に関しては、家や店舗の中はいくら近代的でも、道に面した側面の外見は昭和風に作ったり、すでにある昭和の建物を修繕したりする必要があります。このために、持ち主に与えられる補助金制度を作ることが有効的だと思われます。
「生きた博物館」ができると、旅行客のために、様々な分野の懐かしいお店やポケットパークを作ることができ、また、何よりも、様々な形でいろいろな人に仕事をする機会が与えられます。
このビジョンを実現するには長期的計画になるという理解が不可欠です。最低10年、もしかしたら20年かかるだろうと思います。なので、すぐに結果が見えなくてもあきらめずに忍耐することが必要になってきます。長期的にこれを運営管理する組織が必要になります。少しずつ進めることによって、新城が変わっていきます。
また、「お金がないから」と言って、あきらめてしまう人が多くいると思います。けれども、市の予算を使うだけではなく、市民から寄付を募ったり、企業にスポンサーになってもらったり、大学の街づくり研究所や歴史研究所の協力を得たり、歴女のグループの協力を得たり、また、今流行りの「クラウドファンディング」を使ったりすることもできるのではないでしょうか。
「昭和街の特別区域・生きた博物館による新城の活性化」はやろうと思えばできることです。今なら「昭和街」の保存はまだ間に合います。後数年待つともう遅いです。
最後に質問としてですが、
1.) 「昭和街」をつくることによる活性化策に対する考えをお伺いします。
2.) 昭和の建造物を活かした景観保全の特別区域を設定することについての考えをお伺いします。
3.)「昭和街」の可能性の展望についての考えをお伺いします。
以上、3つの質問を致します。
ありがとうございました。
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