さくらに想うこと

4月2日、2015全国さくらシンポジウムin奥三河が新城文化会館を会場に行われました。

 
小説「あん」の著者ドリアン助川さんと、その原作を映画化した監督、川瀬直美さんの対話がありました。桜で「つなぐ」が今回のシンポジウムのテーマでしたが、お二人の発言から、さくらの花の儚いイノチについても考えさせられました。

ピンクのじゅうたんが街中のあちこちに見られるこの時期。ソメイヨシノは一斉に咲き、そして一斉に散るのです。ツボミの時から、樹全体が緑に変わるまで、長くて1ヶ月、短くて3週間。満開に近い状態を楽しむことができるのは、今年のこの地区のように雨が多ければ1周間もありません。その美しさは他に比べるものがないぐらい、心を躍らせるような華麗さですが、こんなに短い期間のために苦労して忍耐する日本人。「さくら」には様々な日本人の性質を見て取ることができるように思います。

・期間が短くても楽しみたい性質。私自身の観察ですが、アメリカ人は「長く楽しめなかったら最初からやりたくない」というところがあるように思います。”Limited Time Only”(期間限定)というものが日本よりずっと少なくて、新しいお店を開業したり、新しい商品を紹介しても、その会社がそれを長い間続ける心構えでいないと、消費者はあまりいい顔をしないのです。反面、日本人は期間限定が大好きで、一回だけであっても、行ってみたい、食べてみたいという精神がすごいです。私自身のことで言いますと、長く楽しめないと食べたくないということで、いただいたお菓子をいつまでも少しずつ食べていると、よく主人に怒られています・・・!

・「仕方がない」と思う性質。世の中にはIt can’t be helped、どうしようもないことがいくらでもありますが、日本人の「仕方がない」という言い方が、このようなことを受け入れるに相応しい、また、有意義な表現だと思います。「仕方がない」という表現は、訳すことができても、同じように、そして同じ頻度で使われる表現は他の言語にはあまりないと聞きます。決して、日本人は簡単に諦めると思っているわけではありませんが、もう、やめないといけないとき、諦めないといけないときに割り切るためにはとても便利な表現だと思います。雨がたくさん降ったので、今年の桜の期間は短かった・・・「仕方がない」ですね。これこそは、人間にはどうにも変えることができない、受け入れるべき自然の現象です。

・「来年がまたある」という、命のサイクルを重んじる性質。今年は開花時期がイベントの計画とズレたとか、期間が短かったりとかしても、毎年毎年咲く桜なので、来年が来たら、また楽しめる。日本という国では、季節は循環していて、毎年欠かさず同じ花が咲く、同じ実がなる、もしある年に理想的な形で花が咲いたり、実がなったりしなくても、次の年まで待てばまたチャンスがある、という、長年農業に携わってきた国民の精神があると思います。

・自然に対する敬意という性質。桜は自然の美しさの頂点ですが、それを毎年待ち望み、毎年楽しみにする日本人の自然に対する敬意は見事だと思います。また、その一方で、自然を助けたり、自然に手を加えたりする知識と労力もあります。実がならないソメイヨシノがあること自体、人間が手を加え、接ぎ木でずっと育ててきた歴史の結果です。このこともあって、ある意味弱いソメイヨシノの開花を助けるために、新城市の松井章泰さんの100万本の桜プロジェクトの働きのように、市民に桜の寿命に関する意識を持たせ、桜の木の維持活動を手伝ってもらうような活動をしている人もいます。全国さくらシンポジウムではそのような方々がたくさん集まり、とてもステキな光景でした。

最初から最後まで、1年間の16分の1ぐらいしか楽しむことができない桜・・・その存在自体、そしてそれに対する想いそのものが日本人の性質をよく表現しているように思います。