「感動してお抹茶にむせた」の巻

先月、高校生の娘の文化祭に行ってきました。娘は茶道部なので、唯一の狙いが茶道部のおもてなしを受けることでした。

Tea Ceremony

学校に入って、早速茶室に向かいました。廊下に並んでいた椅子に座り、茶室に入れるように順番を待っていたら、知っている顔の先生が隣に座って来ました。(あれ?これ、確か校長先生だけど。でも本当にそうなのかな?間違っていたら恥ずかしいし。緊張する!)たぶんそうだろうと思ったので、一応立ち上がって挨拶をしました。でも、今年着任されたばかりの校長先生なので、入学式とPTA総会でしかお目にかかっていなくて、本当に校長先生かどうかは、自信がなかったです。

当日券を買う必要があったので、入り口で隣の先生に先に行っていただこうとしましたが、先生はとても紳士的にちゃんと順番を守って辛抱強く待ってくれていました。(アッチャー、校長先生(と思われる人)の隣でお茶を頂くことになるのか。緊張する!)と、思いながら並んでいた座布団に正座しました。

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新城市若者議会

先月のある日、家に帰ったら娘の写真が回覧板に入っているチラシから私の方を覗いていました。

娘は新城市若者議会の委員の1人です。新城市の「若者議会」は、年に一度の形式的なものではなく、意見交流会のような「若者会議」でもなく、予算が市から与えられて、年間を通じて定期的に活動をし、考え出した政策やアイデアを実行に移すことのできる、全国で初めての試みです。そういうこともあって、今全国からかなりの注目を集めています。

そこで、「主権者教育普及実践事業」の一貫として、若者議会のシンポジウムが新城市で今度の土曜日、2017年2月11日に持たれることになりました。昔から人前で発言をすることに積極的な娘ですが、まだ高校1年生なのに、パネリストの1人として出ることになりました。そこでチラシから彼女の笑顔が私の方を覗いていたのです。

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新城市若者議会が始まったきっかけは、世界ニューキャッスルアライアンスにあります。新城市は、1998年から、世界中にある「ニューキャッスル」という名前がつく都市との交流があって、2年毎にどこかのニューキャッスルで会議がもたれています。2008年からそれが市民レベルでの交流となり、その年に青少年の部も発足されました。2012年に日本の新城市から、数人の若者がイギリスのニューキャッスル・アポン・タインに行き、その街のYouth Council、若者議会を目の当たりにしました。そしてそこの若者たちが持っている、自分の市に対する熱意と関心に心を打たれて、このままだったら新城市はヤバイよ!私たちの、若者の想いとニーズ、新城市の将来に関する私たちの意見をなんとかして市政に届ける方法はないか?!と、悩み、そして行動しました。市長や市議会との話し合いを重ね、ユースの会、若者政策ワーキングという、二つの中間段階を経て、2014年に「新城市若者条例」と「新城市若者議会条例」(それぞれ平成26年新城市条例第56号、第57号)が公布され、2015年4月1日より施行されました。条例化することによって、新城市の若者議会を市長が変わっても残すことができるようになりました。 続きを読む

一時帰国記:飛行機の巻

年末年始に5年ぶりに一時帰国しました。アメリカでクリスマスを過ごしたのは、11年ぶりでした。

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12月17日の早朝、家族4人と5個のスーツケースを車に積んで、中部国際空港に向いました。あれ?5人家族ではなかったですか?と、思われる方・・・はい、その通りです。16才の長女は都合で、名古屋の知り合いの家に一泊させていただいて、次の日に後から一人で来ることになりました。

国際線を一人で?!しかも1回乗り換えがあるのに?!15才と16才の子どもは、一人で飛ぶことは許されているのですが、格安チケット会社ではチケットを売ってくれないので、直接航空会社に電話して購入しなければいけません。少しだけ割高でしたが、これも何とかなりました。長女はチョーワクワク。親はなんとかなるだろうと思いながらも、多少心配。でもそれなりの準備をちゃんとしました。 続きを読む

グランプリ! 娘の写真コンテスト

三女が全国の写真コンテストに応募し、中学校の部でグランプリを受賞しました!

そして恥ずかしいことに、その写真にはなんと、私が写っているのです!

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このコンテストは、「はたらくすがた」というもので、学生が大人が働いているところをカメラに収めていくのが目的です。株式会社アイデムが主催しているコンテストです。

子どもたちに、様々な「はたらくすがた」の写真を撮ることによって、仕事について、働くということについて考えさせることが目的だそうです。学校単位でエントリーすることもあって、学生個人の賞の他にも、小・中・高の各レベルの学校のコンテストへの取り組みを称える「団体奨励賞」もあります。子どもたちに、将来について考えるきっかけを与えます。また、高校レベルでは写真部の生徒も多くて、将来プロの写真家を目指している生徒もいますので、その意味でも、将来へのステップになるようなこのコンテストの主旨はとても良いものだと思います。 続きを読む

Break Down the Historical Wall:娘のスピーチ(優秀賞)

先月の終わりに、次女が岡崎市にある光が丘女子高等学校で行われた「第30回愛知県中学生英語弁論大会」に参加しました。そこで、60人の参加者のうち、優秀賞(2位)を受賞することができました。

スピーチのテーマは、8月に海外派遣で韓国に行った時に経験したことに基いて、「若い世代が韓国と日本の歴史の壁を取り壊す必要がある」ということについて話をしました。

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新城市では毎年、新城ロータリークラブの協力を得て、市内6つの中学校から20人の中学3年生が1週間韓国に派遣されます。今回の行程は、ソウルの観光や北緯38度線やウロクトンの見学、大邱(テグ)市の中学校との交流、大邱で2泊のホームステイ、そして慶州と釜山で観光をしてから帰るという、強行軍だけどとても充実した旅行をすることができました。 続きを読む

“Liking” English: 娘のスピーチ~メディアを通しての英語学習

長女が先月の終わりに英語弁論大会に出場しました。そのテーマはとても皮肉なことに、メディアでした。YouTubeから英語を学ぶことについてお話をしましたが、なぜそれが皮肉だったかというと、ちょうど弁論大会の前日まで、我が家でジャンクメディア断食をしていたからです。

本人の承諾を得て、スピーチとその和訳をここに載せます。(これで、感想文の中で「YouTubeだけはなくては生きていられない」と書いた娘が何番目の子だったか、バレてしまいますが!)岡崎市の光ヶ丘女子高等学校で開催された「第29回愛知県中学生英語弁論大会」でしたが、奨励賞を受賞することができました。出場者60人のうちのトップ6位に入ったということです。 続きを読む

「こども農学校の思い出」 by 山﨑ランサム 窓香

「第11回 あぐりスクール全国サミット in 東京」 において、長女がおこなったスピーチの原稿です。

「こども農学校」には、3年生の時から6年生の時まで通っていました。毎年同じようなことをやっていても、「来年はもっと上手にやろう」とか、次は何をやるかと期待していたら毎年が本当に楽しい思い出になりました。その中で私は食べ物について、命の大切さについて、農業について、専門的ではないかもしれませんがたくさん学びました。

農学校に通ったことによって、食べ物を育てることはもちろん、食べたり、食材を買ったりするときにも、使われている材料や生産国などを気にするようになりました。

例えば、冬に「きゅうりと大根どっちを食べる?」と聞かれたら当たり前のよう「大根!」と答えるように、「旬」という概念がわかるようになりました。

また、外国よりも日本の食材の方がクオリティーが高いということがわかりました。実際、去年の冬休みにアメリカからおばの家族が来日しました。その時、専業主夫であるおじがミックスを使わずに基本の材料からホットケーキを作ってくれて、「アメリカのと同じレシピなのに日本で作った方が断然おいしい!!」と言ってくれました。

また、命の大切さについても学びました。私たちが生きるためには他の動植物の尊い命が失われていることがよくわかりました。だからこそ、「食」に感謝します。きれいな場所ですばらしい食材で作られたものが食べられるということは喜びになりました。

もちろん農学校ですから農業についても学び、考えさせられました。最も関心を持ったのは自分たちの手で作物を育てるということです。毎年手作業で田植えと稲刈りをやってきて、私も少しは昔一つひとつ手作業をしていた農家の人たちの気持ちがわかりました。そのころは、家族のみんなが農業を手伝っていました。今、労働力をそれほど必要としない機械化で便利になってきています。でも、一つひとつを丁寧に気持ちをこめて育てたいという面では手作業でやりたいなと個人的に思いました。

個人的に最も成長したと思うのは、農学校がきっかけになって自分で食事を作るようになったことです。初めて作ったのはちょうど3年生のころで、「自分たちだけで夕飯を作って!」という母の何気ない一言から、毎週木曜日は自分で作る日と決めて妹2人と協力して作っていました。でも、最初の方は失敗することも多かったです。キャベツをレタスと間違えて買ってきたり、ハンバーグを作ろうとして生肉を台所のあちこちにつけたり、5人家族なのに作った量が全く足りないということもよくありました。

でも、そのような失敗を重ねてできるようになったことが確実に増えていることが、成長につながっています。それにより、台所の使い方や、さまざまな料理の調理方法もわかりました。

4年間農学校に通って大きく変えられたのは私だけではありません。妹2人も農学校に通うようになりました。今でも『ちゃぐりん』を購読して毎月読んでいます。

田植えや稲刈りをした千枚田にアメリカ人である母もたくさん行くようになり、また、日本の食文化についていろいろ学びました。母は、それを題材にくみこんで日本語の弁論大会に出て、優勝することもできました。

私が農学校で過ごした4年間は、知識においても、人生においても、かけがえのない財産となりました。これからまだ農学校に通える歳の子どもの皆さんにも、通い続けることをお勧めします。

このような機会を与えてくださったJA愛知東の皆様に、心より感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。これからも全国の「あぐりスクール」が地域の子どもたちに良い成長の場を与え続けてくださることを願って応援します。これからもよろしくお願いします。

ご清聴ありがとうございました。

あぐりスクール全国サミット in 東京

8月27日(木)に、飯田橋レインボービルで開催された 「第11回 あぐりスクール全国サミット in 東京」 に行く特権に恵まれました。

それは、長女のおかげでした。

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長女は、小学校3年から6年まで、4年連続で 「JA愛知東 こども農学校」 に参加していました。農学校とは、毎年4月から12月まで、全10回にわたり、約60名の小学生に農業に携わり、食と農について学んでもらう企画です。半日だったり1日だったり、そして夏に1泊の合宿があったりと、食農についての勉強だけではなく、人格的にも大きく成長する場です。

近くの畑で野菜を育てて、合宿の時の食事に使ったり、秋のJAまつりで販売したりします。千枚田で裸足で田んぼに入り、手で苗を植え、鎌で刈り取ります。また、食事(豚汁、五平餅、ピザ、バウムクーヘンなど)を作ったり、こんにゃく工場やソーセージ工場を見学したり、牧場で家畜と触れ合ったり、藁や綿で工作をしたりと、4年間で本当にたくさんのことを体験してきました。

今年の2月に、JA愛知東のこども農学校が10周年記念の式典を開催しましたが、その時に、長女に4年間連続参加した卒業生の代表として挨拶をしてもらえませんかと依頼がありました。その時のスピーチ (「これについてしゃべったらどう?」とか、間接的なヘルプはしたものの、スピーチそのものは全部自分で書いた) がとても印象的だったらしく、2ヶ月後ぐらいに、「8月に同じスピーチを全国の大会でしていただけませんか」と、依頼されました。もちろん、喜んで引き受けました。

本番前の練習を一度も見ていなかったので、本当に練習したかどうか少し不安がありましたが、親でも感動するぐらい、本当に上手に発表することができて、とても嬉しかったです。

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また、私も食育や子どもに農業を覚えてもらうことに関してとても関心がありますので、食農教育に関する貴重なお話をいくつも聞くことができて、本当によかったです。

長女がこども農学校に参加したことによって、私自身の人生も大きく変えられました。

彼女が農学校に通い始めたのは2009年の4月でしたが、その1年前から家庭菜園を手がけていた私は、ひと夏だけでも大変多くのことを学び、そして本当に多くの感動を受けました。「作物を育てる、土に触れる、自然に学ぶ、この感動を子どもたちにも知って欲しい」と思い、農学校に登録しました。

そして、こども農学校の一環として、私も一緒に、初めて「四谷の千枚田」に行くことになりました。長女もスピーチで言っていますが、私も食について学び、千枚田に行って学んだことをスピーチの題材にしたら、日本語弁論大会で優勝することができました。そしてその優勝を機に、もっと多くの人に日本の田舎のすばらしさ、日本の農家の知恵の尊さに改めて目覚めて欲しいと思うようになって、現在の活動に至っています。

なので、長女のこども農学校への参加がなかったら、今の私もないと言っても過言ではありません。

長女のスピーチもすばらしかったけれども、万事が益となるように共に働くということを目の当たりにすることができて、大変感動的な時となりました。

???????????????????????????????この機会を与えてくださったJA愛知東の皆様と、全国サミットの皆様、そして食と農に興味をもって4年間農学校に通い続けた長女に心より感謝したいと思います。