どりあの新城ミッシング~トップ20 (その3)

今まで伝えてきた続きとして、新城から引っ越しをして、名残惜しいものの最後になりました。最初の回はかなり一般的なものでした。二回目は自分自身と直接関わりがあるものがもう少し多かったです。

 

今回は、引き分けもあったりするぐらい、自分の中では甲乙つけがたいものになってきました。大阪に住みながら新城の人々と関わるようになってから、24年間が経ちました。ということは、私の人生の約半分は新城と深く結び合わされています。両親の出身地、そして今も家族がいるミネソタ州に住んでいた年月よりも、新城に住んでいた年月の方が長いです。まさに、私にとっては「ふるさと」です。(うさぎを追っかけたことさえあります。)

 

第7位

住んでいた家と庭

子どもの時から何度も何度も引っ越しをした私にとって、10年以上同じ家に住むことができたのは、まるで奇跡のような話でした。そして、木造のその家が本当に大好きでした。たくさんの時間と労力を費やした庭も大好きでした。引き渡しの前には、一番好きだった窓の傍に座って、大いに泣きました。その家に住んでいなかったら、その庭の手入れをしていなかったら、日本についての理解も深まらなかったし、全国の弁論大会で外務大臣賞を取るほどのスピーチをする題材もなかったのです。新城市のあの一軒家が私の人生を変えたと言っても過言ではないのです。あの家に住むことができて本当によかったです。

続きを読む

新城市若者議会

先月のある日、家に帰ったら娘の写真が回覧板に入っているチラシから私の方を覗いていました。

娘は新城市若者議会の委員の1人です。新城市の「若者議会」は、年に一度の形式的なものではなく、意見交流会のような「若者会議」でもなく、予算が市から与えられて、年間を通じて定期的に活動をし、考え出した政策やアイデアを実行に移すことのできる、全国で初めての試みです。そういうこともあって、今全国からかなりの注目を集めています。

そこで、「主権者教育普及実践事業」の一貫として、若者議会のシンポジウムが新城市で今度の土曜日、2017年2月11日に持たれることになりました。昔から人前で発言をすることに積極的な娘ですが、まだ高校1年生なのに、パネリストの1人として出ることになりました。そこでチラシから彼女の笑顔が私の方を覗いていたのです。

170211symposiumposter

* * *

新城市若者議会が始まったきっかけは、世界ニューキャッスルアライアンスにあります。新城市は、1998年から、世界中にある「ニューキャッスル」という名前がつく都市との交流があって、2年毎にどこかのニューキャッスルで会議がもたれています。2008年からそれが市民レベルでの交流となり、その年に青少年の部も発足されました。2012年に日本の新城市から、数人の若者がイギリスのニューキャッスル・アポン・タインに行き、その街のYouth Council、若者議会を目の当たりにしました。そしてそこの若者たちが持っている、自分の市に対する熱意と関心に心を打たれて、このままだったら新城市はヤバイよ!私たちの、若者の想いとニーズ、新城市の将来に関する私たちの意見をなんとかして市政に届ける方法はないか?!と、悩み、そして行動しました。市長や市議会との話し合いを重ね、ユースの会、若者政策ワーキングという、二つの中間段階を経て、2014年に「新城市若者条例」と「新城市若者議会条例」(それぞれ平成26年新城市条例第56号、第57号)が公布され、2015年4月1日より施行されました。条例化することによって、新城市の若者議会を市長が変わっても残すことができるようになりました。 続きを読む