どりあの新城ミッシング~トップ20 (その3)

今まで伝えてきた続きとして、新城から引っ越しをして、名残惜しいものの最後になりました。最初の回はかなり一般的なものでした。二回目は自分自身と直接関わりがあるものがもう少し多かったです。

 

今回は、引き分けもあったりするぐらい、自分の中では甲乙つけがたいものになってきました。大阪に住みながら新城の人々と関わるようになってから、24年間が経ちました。ということは、私の人生の約半分は新城と深く結び合わされています。両親の出身地、そして今も家族がいるミネソタ州に住んでいた年月よりも、新城に住んでいた年月の方が長いです。まさに、私にとっては「ふるさと」です。(うさぎを追っかけたことさえあります。)

 

第7位

住んでいた家と庭

子どもの時から何度も何度も引っ越しをした私にとって、10年以上同じ家に住むことができたのは、まるで奇跡のような話でした。そして、木造のその家が本当に大好きでした。たくさんの時間と労力を費やした庭も大好きでした。引き渡しの前には、一番好きだった窓の傍に座って、大いに泣きました。その家に住んでいなかったら、その庭の手入れをしていなかったら、日本についての理解も深まらなかったし、全国の弁論大会で外務大臣賞を取るほどのスピーチをする題材もなかったのです。新城市のあの一軒家が私の人生を変えたと言っても過言ではないのです。あの家に住むことができて本当によかったです。

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どりあの新城ミッシング~トップ20 (その2)

前回に引き続き、引っ越しをして新城を出てから自分が恋しいと感じることのリストの続きです。今回からは、新城独特なもの、自分自身の生活に直接かかわったものがたくさん出てきます。

 

第13位

無人駅

Higashi Shinmachi Station

我が家の最寄駅だった駅にて。写真は友人が最近FBにアップしたものです。

新城を通っているJR飯田線は、主要駅の間は単線、そして無人駅がほとんどです。言うまでもなく、駅で待っている人もそう多くはいません。豊川より北は、マナカ・トイカ・スイカなどが使えません。主要な新城駅でさえも、夜7時を過ぎると、車掌さんがきっぷを受け取ってくれるか、駅を出る時に箱に入れるかします。

今住んでいるところの最寄駅はベッドタウンであるにもかかわらず、毎回、階段を降りてくる人の波を見ているだけでもう、唖然とします。都会の駅で乗り換えないといけなくなると、本当に頭がいたいです。時には不便だったとしても、私の無人駅を返して!と、叫びたくなることがあります。

 

第12位

のんすけ

Nonsuke

「いいじゃん新城」の2014年の新年番組の収録にて

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お別れ・・・ ~わが家を訪れる珍客たち・第6号 パート2~

11月のある雨の日、急遽休みを取った主人と一緒に愛亀ミッシーを車に載せて伊豆半島に向かいました。最初のうちは少量の水でいつもの大きい入れ物にミッシーを入れて、車の後ろに乗せていました。けれども、水量は少なくても、特に高速を下りてからは時々水が飛び散ったので、最後の45分ぐらいは水が入っていないタッパーに入れて、膝の上に乗せることにしました。急に伊豆半島に向かうようになったのは、ミッシーにお別れを告げる時がとうとう来てしまったからです。

ミシシッピアカミミガメがいきなり我が家に現れた時(前回の投稿)は、あれだけ手放したかったのに・・・。今回は事情があって、本当に手放さないといけなくなりました。やっと引き取ってくれる場所が見つかったのに、意外と別れが辛くて、自分でもびっくりしました。

4年前に動物に詳しい生徒にカメの飼い方の本を貸してもらいました。その生徒のお母さんに、「どこか引き取ってくれるところを知りませんか?」と聞いたら、やはりご存知でした。伊豆半島の河津町に、iZoo(イズー)という、賢いネーミングの爬虫類と両生類専用の動物園(体験型動物園)があって、そこは、外来種の放置、繁殖を避けるために、持って行きさえすれば、引き取ってくれるということでした。大変ありがたい話です。

問い合わせたところ、冬眠をさせているなら、冬眠に入る前に持ってきた方がいいということでしたので、急遽主人と予定を合わせて、伊豆に向かうことになりました。

iZoo Entrance

引き渡しそのものは、切符売り場でしてくれましたので、入場しないでカメだけを預けようと思えばそれもできます。前もって言われたことは、蓋付きのプラスチック容器に入れないといけないのと、同意書に著名をしないといけないことでした。どのような同意書かというと、いかなる理由でも、自分のカメについて問い合わせをしないことを約束するためのものです。(後から、飼われている状況を見たらその理由はよくわかりました!) 続きを読む

お帰りなさい! ~わが家を訪れる珍客たち・第5号

数年前から、毎年わが家を訪れる珍客が帰ってきました。「珍客」の「出没順」でいうと、たぶん5番目だと思います。いつもこんなところに居座っています。

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ヤモリがいること自体が変わったことではないと思いますが、いつも同じ所、しかもシルエットが異常に目立つ玄関のガラスのところにいるのがとても微笑ましいです。IMG_3377

毎年お会いできるのを楽しみにしています。今年も帰ってきてくれて、ありがとう、ヤモリ君!!

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さくらに想うこと

4月2日、2015全国さくらシンポジウムin奥三河が新城文化会館を会場に行われました。

 
小説「あん」の著者ドリアン助川さんと、その原作を映画化した監督、川瀬直美さんの対話がありました。桜で「つなぐ」が今回のシンポジウムのテーマでしたが、お二人の発言から、さくらの花の儚いイノチについても考えさせられました。

ピンクのじゅうたんが街中のあちこちに見られるこの時期。ソメイヨシノは一斉に咲き、そして一斉に散るのです。ツボミの時から、樹全体が緑に変わるまで、長くて1ヶ月、短くて3週間。満開に近い状態を楽しむことができるのは、今年のこの地区のように雨が多ければ1周間もありません。その美しさは他に比べるものがないぐらい、心を躍らせるような華麗さですが、こんなに短い期間のために苦労して忍耐する日本人。「さくら」には様々な日本人の性質を見て取ることができるように思います。

・期間が短くても楽しみたい性質。私自身の観察ですが、アメリカ人は「長く楽しめなかったら最初からやりたくない」というところがあるように思います。”Limited Time Only”(期間限定)というものが日本よりずっと少なくて、新しいお店を開業したり、新しい商品を紹介しても、その会社がそれを長い間続ける心構えでいないと、消費者はあまりいい顔をしないのです。反面、日本人は期間限定が大好きで、一回だけであっても、行ってみたい、食べてみたいという精神がすごいです。私自身のことで言いますと、長く楽しめないと食べたくないということで、いただいたお菓子をいつまでも少しずつ食べていると、よく主人に怒られています・・・!

・「仕方がない」と思う性質。世の中にはIt can’t be helped、どうしようもないことがいくらでもありますが、日本人の「仕方がない」という言い方が、このようなことを受け入れるに相応しい、また、有意義な表現だと思います。「仕方がない」という表現は、訳すことができても、同じように、そして同じ頻度で使われる表現は他の言語にはあまりないと聞きます。決して、日本人は簡単に諦めると思っているわけではありませんが、もう、やめないといけないとき、諦めないといけないときに割り切るためにはとても便利な表現だと思います。雨がたくさん降ったので、今年の桜の期間は短かった・・・「仕方がない」ですね。これこそは、人間にはどうにも変えることができない、受け入れるべき自然の現象です。

・「来年がまたある」という、命のサイクルを重んじる性質。今年は開花時期がイベントの計画とズレたとか、期間が短かったりとかしても、毎年毎年咲く桜なので、来年が来たら、また楽しめる。日本という国では、季節は循環していて、毎年欠かさず同じ花が咲く、同じ実がなる、もしある年に理想的な形で花が咲いたり、実がなったりしなくても、次の年まで待てばまたチャンスがある、という、長年農業に携わってきた国民の精神があると思います。

・自然に対する敬意という性質。桜は自然の美しさの頂点ですが、それを毎年待ち望み、毎年楽しみにする日本人の自然に対する敬意は見事だと思います。また、その一方で、自然を助けたり、自然に手を加えたりする知識と労力もあります。実がならないソメイヨシノがあること自体、人間が手を加え、接ぎ木でずっと育ててきた歴史の結果です。このこともあって、ある意味弱いソメイヨシノの開花を助けるために、新城市の松井章泰さんの100万本の桜プロジェクトの働きのように、市民に桜の寿命に関する意識を持たせ、桜の木の維持活動を手伝ってもらうような活動をしている人もいます。全国さくらシンポジウムではそのような方々がたくさん集まり、とてもステキな光景でした。

最初から最後まで、1年間の16分の1ぐらいしか楽しむことができない桜・・・その存在自体、そしてそれに対する想いそのものが日本人の性質をよく表現しているように思います。