My Mom and Dad Came to Japan! ・ 念願の姫路城と倉敷!

電車や車で通ったことのある都道府県を入れると、今まで行ったことがない日本の県は、4つしかありません。宮崎、鹿児島、鳥取、そして秋田です。要するに、日本はほとんど隈なく行っています。

その中でも、「ここだけはどうしても行きたい!」というリストはとても短かったです。否、3つだけでした:飛騨高山、姫路城、そして倉敷。高山は隣の県で、ずっと前から行きたいのに不思議ですが、行ったことがないです。

でも、この前は、姫路城と倉敷の両方に行くことができました!!

Japan 2017-09

We realized this was the first time we had taken a trip with just the three of us!

4月21日から5月13日まで、父母が3週間、来日しました。私たちが12月にアメリカに行ったばかりでしたが、これからは娘たちが全員高校生になっていくし、留学したりとかで、我が家の5人が全員いて日本に来てもらえる機会がこれからあまりないかもしれないということで、来てもらいました。以前は、2009年にシルバーウィークの晩夏と、2013年(父母)と2015年(母叔母)の春休みに来たことがありました。今回は、まだ経験したことがない季節に来たらどうかということで、ゴールデンウィークに来てもらいました。 続きを読む

Break Down the Historical Wall:娘のスピーチ(優秀賞)

先月の終わりに、次女が岡崎市にある光が丘女子高等学校で行われた「第30回愛知県中学生英語弁論大会」に参加しました。そこで、60人の参加者のうち、優秀賞(2位)を受賞することができました。

スピーチのテーマは、8月に海外派遣で韓国に行った時に経験したことに基いて、「若い世代が韓国と日本の歴史の壁を取り壊す必要がある」ということについて話をしました。

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新城市では毎年、新城ロータリークラブの協力を得て、市内6つの中学校から20人の中学3年生が1週間韓国に派遣されます。今回の行程は、ソウルの観光や北緯38度線やウロクトンの見学、大邱(テグ)市の中学校との交流、大邱で2泊のホームステイ、そして慶州と釜山で観光をしてから帰るという、強行軍だけどとても充実した旅行をすることができました。 続きを読む

「新城中部今昔物語」に行ってきました

先週の日曜日に、「しんしろ城下町の会」が開催した展示会と講演会、「新城中部今昔物語」に行ってきました。明治・大正時代、そして昭和時代の写真がたくさん展示してあって、とても興味深かったです。

昔の写真と、現在その場所がどこなのかが比較できるようになっていたものが多くて、とてもわかりやすい展示になっていました。 続きを読む

市民まちづくり集会でのプレゼンテーション

1月24日(日)の午後に「市民まちづくり集会」に参加しました。参加者全員がテーブルを囲んでディスカッションをする市民まちづくり集会には初めて参加しましたので、とても楽しみにしていました。外国人として、ここで生まれ育った人には気づかないところが目にとまりますので、10分間のプレゼンテーションを頼まれました。「知らなかった新城、気づかなかった新城」と題して、新城がこの20年間でどう変わったか、そして昨年女性議会で提案した議題、新城の中心街を「昭和街(しょうわまち)」にするというアイデアを、より具体的、そして行政向きにではなく、一般市民向きに少し趣向を変えてプレゼンしました。(一つ前のポストでその原稿を読んで、パワーポイントのスライドショーとして紹介した写真を見ることができます。) 続きを読む

新城市「昭和街」の夢:プレゼンテーションの原稿

みなさん、こんにちは。今日は、新城という町について考えていただきたいと思います。まずは、これらの共通点は何でしょうか?

四谷の千枚田       軽トラ市         百間滝

ツール・ド・新城   コスモスの小路     桜再生プロジェクト

新城ラリー        のんすけ        梅の里川売

 

さて、共通点はわかりましたか? 続きを読む

昭和街・生きた博物館:私の新城市に対する夢です!

7月31日、新城市女性議会に議員として参加しました。とても貴重な体験でした。今日はその時読み上げた文章をここに掲載させていただきます。

2015.7.31

新城市女性議会

どりあ 山﨑ランサム

 

本日は、女性議会に参加させていただけることを心より感謝します。私は新城市が大好きで、今までもさまざまな形で新城市に貢献しようとしてきました。ですので、新たな形で関わらせていただけるのはとても嬉しいです。
本日私が申し上げたい課題は、女性としてと同時に、外国人、「外の人」の目で新城を見た時に感じること、新城の活性化についての課題です。
20年以上前に、初めて新城の旧道を車で通った時の印象を鮮明に覚えています。「なんとステキな町並みだろう!」 昔の日本がそのまま残っている、威圧感のない町並みだったのがよかったと思います。
この町並みを産んだ「昭和」の時代も今となっては歴史です。「昔」の町並みというと、観光スポットとしてよく取り上げられるものは、江戸か明治時代から残っているものです。けれども、新城の大半の人たちが「ダサい」と思っているこの町並みは、 20年、30年経てば貴重な歴史的財産になります。空襲を受けていない、この昭和の田舎町の町並みが邪魔ではないと、発想を切り替えて、町並みを保存することができれば、「昭和街(しょうわまち)」の「生きた博物館」として、新城市が大人気のツーリストスポットに生まれ変わることができるのではないでしょうか?私はこのような夢を見ています。
平成に入ってからの建物の大半は、四角くてデザイン性に欠けていて、外壁がパネリングというものがほとんどです。なので、 20年後には、「昭和街」の町並みが懐かしくなり、教育的になり、魅力に満ち溢れたものになります。一口に昭和といっても、戦前、戦争直後、経済成長期、バブル最盛期と、様々な「昭和」があります。町並みに60年以上の歴史が現れるところにこそ昭和の魅力があります。
この町並みを保存して活用するためには、「平成化調整区域」「昭和街都市計画特別区域」を作る必要があると思います。最小限残したい場所は東新町の交差点から橋向の交差点までの旧道沿いの地域ですが、平井の交差点から、新城駅前銀座、そして文化会館と市役所まで広げることができたら最も理想的だと思います。
この特別区域にある建物に関しては、家や店舗の中はいくら近代的でも、道に面した側面の外見は昭和風に作ったり、すでにある昭和の建物を修繕したりする必要があります。このために、持ち主に与えられる補助金制度を作ることが有効的だと思われます。
「生きた博物館」ができると、旅行客のために、様々な分野の懐かしいお店やポケットパークを作ることができ、また、何よりも、様々な形でいろいろな人に仕事をする機会が与えられます。
このビジョンを実現するには長期的計画になるという理解が不可欠です。最低10年、もしかしたら20年かかるだろうと思います。なので、すぐに結果が見えなくてもあきらめずに忍耐することが必要になってきます。長期的にこれを運営管理する組織が必要になります。少しずつ進めることによって、新城が変わっていきます。
また、「お金がないから」と言って、あきらめてしまう人が多くいると思います。けれども、市の予算を使うだけではなく、市民から寄付を募ったり、企業にスポンサーになってもらったり、大学の街づくり研究所や歴史研究所の協力を得たり、歴女のグループの協力を得たり、また、今流行りの「クラウドファンディング」を使ったりすることもできるのではないでしょうか。
「昭和街の特別区域・生きた博物館による新城の活性化」はやろうと思えばできることです。今なら「昭和街」の保存はまだ間に合います。後数年待つともう遅いです。
最後に質問としてですが、
1.) 「昭和街」をつくることによる活性化策に対する考えをお伺いします。
2.) 昭和の建造物を活かした景観保全の特別区域を設定することについての考えをお伺いします。
3.)「昭和街」の可能性の展望についての考えをお伺いします。
以上、3つの質問を致します。
ありがとうございました。