「感動してお抹茶にむせた」の巻

先月、高校生の娘の文化祭に行ってきました。娘は茶道部なので、唯一の狙いが茶道部のおもてなしを受けることでした。

Tea Ceremony

学校に入って、早速茶室に向かいました。廊下に並んでいた椅子に座り、茶室に入れるように順番を待っていたら、知っている顔の先生が隣に座って来ました。(あれ?これ、確か校長先生だけど。でも本当にそうなのかな?間違っていたら恥ずかしいし。緊張する!)たぶんそうだろうと思ったので、一応立ち上がって挨拶をしました。でも、今年着任されたばかりの校長先生なので、入学式とPTA総会でしかお目にかかっていなくて、本当に校長先生かどうかは、自信がなかったです。

当日券を買う必要があったので、入り口で隣の先生に先に行っていただこうとしましたが、先生はとても紳士的にちゃんと順番を守って辛抱強く待ってくれていました。(アッチャー、校長先生(と思われる人)の隣でお茶を頂くことになるのか。緊張する!)と、思いながら並んでいた座布団に正座しました。

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お隣さんのイチジク

私は無花果が大好きです。

でも、10年ぐらい前まで、意識して本物の無花果を見たことがありませんでした。

ほとんどのアメリカ人は、無花果といえば「聖書によく出てくる果物」だということと、「FIG NEWTON というクッキー」でしか知らないと思います。

このクッキーは、中に無花果のフィリングが入っている、とても有名なクッキーです。なので、アメリカ人は無花果の実を食べていて、味は知っていますが、少なくとも私の周りにいるアメリカ人は、本物の無花果を見たことがない人がほとんどだと思います。

今、我が家にスイスからの留学生が来ていますが、面白いことに、彼女も日本に来るまで本物の無花果を見たことはなかったと言いました。 続きを読む

久しぶりの着物

今月次女が中学校を卒業しました。子どもたちが入園した時はアメリカに住んでいましたので、入園式には参加したことがないけれど、卒園式、小・中の入学式、卒業式と、今までいくつもの式に出ています。けれども、着物を着たことは一度もありませんでした。

こちらの地方の風習では、卒業式は礼服と決まっていて、ほとんど全員の保護者が黒を身にまとっています。これは、アメリカ人の私にしてはとても違和感のあることです。なぜなら、アメリカでは、黒のフォーマルを着るのは、お葬式以外にほとんどありえないからです。おめでたければおめでたいほど、カラフルなフォーマルを着ます。なので、結婚式や卒業式になりますと、参列している人の衣装も含め、会場がとても華やかな雰囲気に包まれます。

けれども、(他の地方の人の話を聞いていると、どうやらこの点では東三河は結構珍しいそうですが)、こちらでの卒業式になりますと、華やかな服を着ているのは、着物姿のお母さんたちだけです。個人的に、私は少なくとも、黒だけは絶対に嫌だと思って、カラフルなスーツを着ることにしています。一番暗くても紺や茶色、時には緑や赤も着ます。

いつか着物を着たいなと思いながらも、自分のを持っていないし、着付けてもらうのも大変そうだし、半分諦めていました。けれども、最近はふたつのことがきっかけで、もしかしたら簡単に諦めなくてもいいかもしれないと思うようになりました。 続きを読む

さくらに想うこと

4月2日、2015全国さくらシンポジウムin奥三河が新城文化会館を会場に行われました。

 
小説「あん」の著者ドリアン助川さんと、その原作を映画化した監督、川瀬直美さんの対話がありました。桜で「つなぐ」が今回のシンポジウムのテーマでしたが、お二人の発言から、さくらの花の儚いイノチについても考えさせられました。

ピンクのじゅうたんが街中のあちこちに見られるこの時期。ソメイヨシノは一斉に咲き、そして一斉に散るのです。ツボミの時から、樹全体が緑に変わるまで、長くて1ヶ月、短くて3週間。満開に近い状態を楽しむことができるのは、今年のこの地区のように雨が多ければ1周間もありません。その美しさは他に比べるものがないぐらい、心を躍らせるような華麗さですが、こんなに短い期間のために苦労して忍耐する日本人。「さくら」には様々な日本人の性質を見て取ることができるように思います。

・期間が短くても楽しみたい性質。私自身の観察ですが、アメリカ人は「長く楽しめなかったら最初からやりたくない」というところがあるように思います。”Limited Time Only”(期間限定)というものが日本よりずっと少なくて、新しいお店を開業したり、新しい商品を紹介しても、その会社がそれを長い間続ける心構えでいないと、消費者はあまりいい顔をしないのです。反面、日本人は期間限定が大好きで、一回だけであっても、行ってみたい、食べてみたいという精神がすごいです。私自身のことで言いますと、長く楽しめないと食べたくないということで、いただいたお菓子をいつまでも少しずつ食べていると、よく主人に怒られています・・・!

・「仕方がない」と思う性質。世の中にはIt can’t be helped、どうしようもないことがいくらでもありますが、日本人の「仕方がない」という言い方が、このようなことを受け入れるに相応しい、また、有意義な表現だと思います。「仕方がない」という表現は、訳すことができても、同じように、そして同じ頻度で使われる表現は他の言語にはあまりないと聞きます。決して、日本人は簡単に諦めると思っているわけではありませんが、もう、やめないといけないとき、諦めないといけないときに割り切るためにはとても便利な表現だと思います。雨がたくさん降ったので、今年の桜の期間は短かった・・・「仕方がない」ですね。これこそは、人間にはどうにも変えることができない、受け入れるべき自然の現象です。

・「来年がまたある」という、命のサイクルを重んじる性質。今年は開花時期がイベントの計画とズレたとか、期間が短かったりとかしても、毎年毎年咲く桜なので、来年が来たら、また楽しめる。日本という国では、季節は循環していて、毎年欠かさず同じ花が咲く、同じ実がなる、もしある年に理想的な形で花が咲いたり、実がなったりしなくても、次の年まで待てばまたチャンスがある、という、長年農業に携わってきた国民の精神があると思います。

・自然に対する敬意という性質。桜は自然の美しさの頂点ですが、それを毎年待ち望み、毎年楽しみにする日本人の自然に対する敬意は見事だと思います。また、その一方で、自然を助けたり、自然に手を加えたりする知識と労力もあります。実がならないソメイヨシノがあること自体、人間が手を加え、接ぎ木でずっと育ててきた歴史の結果です。このこともあって、ある意味弱いソメイヨシノの開花を助けるために、新城市の松井章泰さんの100万本の桜プロジェクトの働きのように、市民に桜の寿命に関する意識を持たせ、桜の木の維持活動を手伝ってもらうような活動をしている人もいます。全国さくらシンポジウムではそのような方々がたくさん集まり、とてもステキな光景でした。

最初から最後まで、1年間の16分の1ぐらいしか楽しむことができない桜・・・その存在自体、そしてそれに対する想いそのものが日本人の性質をよく表現しているように思います。

脱帽!

私のマフラーはとても長いです。

大学の時からずっと長いマフラーを使っています。ミネソタ州ミネアポリス市は稚内と同じぐらいの緯度ですので、冬は非常に寒いです。また、母校のミネソタ大学はアメリカの中でももっとも大きなキャンパスを持つ大学の一つなので、真冬に外を何分も歩かないといけないことがあります。帽子で髪の毛が乱れるのが嫌だったので、25年ぐらい前から私は「真知子巻き」をしています。

今のマフラーは、10年以上前に、妹が編んでくれたものです。

昨日喫茶店にいる時に、近くの席に座ろうとしていた女性が「落ちていますよ」と声をかけてくれました。何かと思ったら、椅子の背にかけていたコートの襟に入ったままになっていた長いマフラーがいつものように床に垂れていました。アメリカ人はそもそも物が床に触れていても気にしない民族ですので、「大丈夫ですよ、私は平気です」と、私が言っている間に、その女性がしゃがんでマフラーを椅子のところまで持ってきて、椅子の背にかけくれました。

とても感動しました。

思いやり・・・他人なのに気を遣ってくれる・・・このような国民的性質こそが、私を大の日本好きにしてくれた最も大きな要因の一つです。「日本のどこが一番好き?」とよく聞かれます。

答えは、「人です。」

Thank you, Japan!  Hats off to you!