小学生向けの講演:「なんで英語なの?」 → コミュニケーションが成り立つために

日本の小学生(そしてもしかしたら先生方も)の誰もが持つ悩みの一つに、「なんで英語を習わないといけないの?」があると思います。

「英語の勉強が楽しくなるような、意欲が湧くような話はできませんか。」と依頼されて、初めて小学生向けの講演の準備に取りかかりました。

先月末に、隣の学区の千郷小学校でその講演会が実現しました。(学校のブログにも、2017.07.06の投稿として載っています。)新城小学校以外で教えたのは初めてでしたので、とても新鮮で興味深かったです。また、講演会をしてから、2週間後に夜店に行きましたが、「あっ、ランサム先生だ」、「どりあ先生だ」、「どりあ山崎ランサム先生だ!」と、自分の英語教室に通っていない子どもたちからたくさん声をかけられました。とても積極的な生徒が多い学校だなぁと感じて、嬉しかったです。

今回は3年生から6年生まで、各学年の全員に、4回同じ内容をお話しました。パワーポイントを使って、プリントを作って(学校側でわざわざ振り仮名をつけてくださいました)、そして各学年のレベルに合わせて話をしました。

Chisato Elementary.jpg

まずは、どうして英語を習うことになったのか、英語を習うとどんな利点があるのかについて話しました。大英帝国について簡単に説明し、英語が世界の共通言語になったいきさつについて話しました。また、英語はとても融通が効く言語だとお話しました。公用語である国だけリストアップしましたが、「これ以外にも、あなたたちみたいに学校で習ってしゃべっている人が世界中には本当にたくさんいるけど、それぞれは日本語の方言のように、多少言葉や発音が違っても、互いに通じるんだよ!だからみんなも“This is MY English!”と、自信を持って話していいんだよ!」(ちょっとした脱線ですが、この概念は、TCK (Third Culture Kid、自国以外の海外で育った人のことです。過去の投稿 をご覧ください!)として育った私は、知ってはいたものの、あまり伝えることができませんでした。けれども、私が教室で使っている教材のアプリコット出版のワークショップの時に、講師の先生がこのように表現されたことによって、使える形になって、非常に感謝しています。)「恥ずかしいとか、完璧じゃないと話したくないと思わなくてもいいんだよ!間違ったら笑ってしまうのは日本人だけだよ。外国の人は、あなたが一生懸命がんばって外国語を話そうとしていることを認めてくれるからね。だから自分が習った英語に自信を持って使っていいんだよ!」と、話しました。 続きを読む

TCKのポジティブ!!

先日、TCK(サードカルチャーキッズ)についてのポストを投稿してから、少しいけないことをしてしまったかもしれないと思うようになりました。

なぜかというと、どうしてそう思ったかよくわかりませんが、自分の頭の中では、そのポストは他のTCKやTCKと関わりのある人が読むだろうという気持ちで書いたからです。

後から、私のブログを読んでいる人は、そうでない人もたくさんいることを思って、しまった!望ましくない印象を与えたかもしれないと思いました。

そのことを正したいと思って、これを書いています。

どういうことかというと、先日のポストはかなりネガティブなトーンで書いてあったことを、後から気付きました。

それはなぜかというと、TCKが読むだろうと思って、書いていたからです。

TCKはTCKの良さを、言わなくてもわかるのです。

第3の文化、サードカルチャーキッズとして育つ子どもは、本当に多くのベネフィット(利点)があります。

いいことが山積みあって、ありすぎて、もう、語れないぐらいです。 続きを読む

インターナショナルスクールのリユニオン

高校時代にドイツのデュッセルドルフにあるインターナショナルスクールに、1年間だけ通いました。3月末に渋谷で開催された同窓会に行ってきました。高校時代と言っても、日本でいうと中3だったし、1年間しか通っていなかったし・・・。同窓会と言っても、一緒に卒業したわけでもないし、対象は3学年にわたる人たちだったし、実際の出席者は6学年ぐらいの人たちだったし、配偶者と一緒に来ていた人もいたし・・・と、要するに、最初からとても日本的ではないリユニオン(「Re + union=再び結合する」)でした。私は1987年に高校を卒業したので、Class of ’87の一員としてこのリユニオンに参加しました。

AISD Reunion-0

私は10才から15才までドイツに住んでいましたが、小学校5年の時から中2の時までは米軍所属の学校に通いました。キンダーガーデンから中2まで125人の生徒しかいませんでした。複式で、私の中1の時の同級生は私を含めて4人でした。この軍所属の学校には高等部はなかったので、中3(アメリカの高1)以上の子どもたちは片道90分のバスに乗って、デュッセルドルフにあるAmerican International School of Düsseldorf (AISD)に通うことになりました。(1986年に「American」を取って、ISDだけになりました。)私が通っていた1983-84年には、流動的でしたが、高等部では、1学年に40人前後いました。

住んでいた環境が、よくある「有刺鉄線に囲まれている米軍基地」とは違って、イングリッシュオンリーで生活しようと思えばできていたものの、やることが少なかった田舎の基地で、常に刺激を求めていた私はドイツ語を学び、町に出て買い物をしたり、自転車で探検したりするのが大好きでした。学校もとても小さかったです。複式だったので、4年間、学校においては知的刺激があまり与えられないままの生活でした。 続きを読む

TCK: サードカルチャーキッズ

[ 必ずこのポスト:TCKのポジティブ!とセットで読むようにお願いします。 ]

大学時代の話です。数十人しかもらわない、名誉な返済不要の奨学金の受賞者のための歓談会で、宣教師の子どもとしてガーナで育った女性と話をしていました。子どもの頃、5年間ドイツに住んだことがあるというと、

「あっ、じゃあ、あなたもサードカルチャーキッズなのね。」と言われました。

私:「?!?」

新しい友だち:「親の国でない国で育った子どもが、その国でもない、また、自分の親の国でもない文化を身につけたり、その中で育つので、第3の文化、サードカルチャーの文化の子どもになるから、こういう呼び方をするんだよ。」

初耳だったけどかなり納得。けれども、とても長い間、この会話以外、あまりサードカルチャーについて考えたことがありませんでした。

17年間早送り・・・ 続きを読む