どりあの新城ミッシング~トップ20 (その3)

今まで伝えてきた続きとして、新城から引っ越しをして、名残惜しいものの最後になりました。最初の回はかなり一般的なものでした。二回目は自分自身と直接関わりがあるものがもう少し多かったです。

 

今回は、引き分けもあったりするぐらい、自分の中では甲乙つけがたいものになってきました。大阪に住みながら新城の人々と関わるようになってから、24年間が経ちました。ということは、私の人生の約半分は新城と深く結び合わされています。両親の出身地、そして今も家族がいるミネソタ州に住んでいた年月よりも、新城に住んでいた年月の方が長いです。まさに、私にとっては「ふるさと」です。(うさぎを追っかけたことさえあります。)

 

第7位

住んでいた家と庭

子どもの時から何度も何度も引っ越しをした私にとって、10年以上同じ家に住むことができたのは、まるで奇跡のような話でした。そして、木造のその家が本当に大好きでした。たくさんの時間と労力を費やした庭も大好きでした。引き渡しの前には、一番好きだった窓の傍に座って、大いに泣きました。その家に住んでいなかったら、その庭の手入れをしていなかったら、日本についての理解も深まらなかったし、全国の弁論大会で外務大臣賞を取るほどのスピーチをする題材もなかったのです。新城市のあの一軒家が私の人生を変えたと言っても過言ではないのです。あの家に住むことができて本当によかったです。

続きを読む

「感動してお抹茶にむせた」の巻

先月、高校生の娘の文化祭に行ってきました。娘は茶道部なので、唯一の狙いが茶道部のおもてなしを受けることでした。

Tea Ceremony

学校に入って、早速茶室に向かいました。廊下に並んでいた椅子に座り、茶室に入れるように順番を待っていたら、知っている顔の先生が隣に座って来ました。(あれ?これ、確か校長先生だけど。でも本当にそうなのかな?間違っていたら恥ずかしいし。緊張する!)たぶんそうだろうと思ったので、一応立ち上がって挨拶をしました。でも、今年着任されたばかりの校長先生なので、入学式とPTA総会でしかお目にかかっていなくて、本当に校長先生かどうかは、自信がなかったです。

当日券を買う必要があったので、入り口で隣の先生に先に行っていただこうとしましたが、先生はとても紳士的にちゃんと順番を守って辛抱強く待ってくれていました。(アッチャー、校長先生(と思われる人)の隣でお茶を頂くことになるのか。緊張する!)と、思いながら並んでいた座布団に正座しました。

続きを読む

クリエイティブな作業&ライターズ・ブロック

4月と5月の上旬に、いきなり頭が冴えたかのように、何十年ぶりかにクリエイティブなことをしました。高校、大学時代はよく詩を書いていたのに、それ以来、1回は書いたかな?と思いますが、本当に何十年ぶりに詩を書きました。詩そのものは、このブログでいつも書いているような種類の話とあまりにも違うので、主人のブログに載せてもらいました

そしてその詩を書いたすぐ後に、2つの歌の翻訳の話がありました。英語の強弱をしっかり音符に乗せながらの訳は本当にチャレンジングでとてもやりがいがありました。

その歌の一つをアメリカのプロのミュージシャンが録音してくださって、すばらしいものができあがって、もう、本当に嬉しいです。先日YouTubeにアップされましたので、もしよろしかったらお聴きになってください。

英語に訳した歌です:

 

元の日本語の歌です:

 

けれども、その反動か、そのすぐ後から2ヶ月は超多忙&超大変な期間でした。ブログも完全にストップしていましたし、メールにしても何にしても、必要最低限なものしか書くことができませんでした。このことを英語でwriter’s blockと言いますが、要するに言葉が詰まっちゃう、執筆作業が妨げられることです。まさにそんな感じでした。

5月末にあったことをずっと前から報告したいと思っていましたので、時差がありますが、この次のポストで報告させていただきたいと思います。

こんな私ですが、これを機にブログ活動を再開したいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。