前回に引き続き、引っ越しをして新城を出てから自分が恋しいと感じることのリストの続きです。今回からは、新城独特なもの、自分自身の生活に直接かかわったものがたくさん出てきます。
第13位
無人駅

我が家の最寄駅だった駅にて。写真は友人が最近FBにアップしたものです。
新城を通っているJR飯田線は、主要駅の間は単線、そして無人駅がほとんどです。言うまでもなく、駅で待っている人もそう多くはいません。豊川より北は、マナカ・トイカ・スイカなどが使えません。主要な新城駅でさえも、夜7時を過ぎると、車掌さんがきっぷを受け取ってくれるか、駅を出る時に箱に入れるかします。
今住んでいるところの最寄駅はベッドタウンであるにもかかわらず、毎回、階段を降りてくる人の波を見ているだけでもう、唖然とします。都会の駅で乗り換えないといけなくなると、本当に頭がいたいです。時には不便だったとしても、私の無人駅を返して!と、叫びたくなることがあります。
第12位
のんすけ

「いいじゃん新城」の2014年の新年番組の収録にて
厳密に言うと新城市のゆるキャラではなくて、新城市商工会のゆるキャラですが、新城市のゆるキャラになってしまったようなものです。のんすけ君、ド大好きです。新城市では、いたるところに見つけることができたので、のんすけ君を目にしなくなって本当にもの足りない気持ちでいっぱいです。
第11位
三河弁
娘たちは、学校で三河弁が「可愛いからしゃべって」と頼まれたり、「だにだにしに行こう!」と、友だちに言われて、「鉛筆だに!本だに!先生だに!」と、教室を回りながら言ったりすることもあるそうです。また、語尾の「ら」をいつ使うのか、「だら」をいつ使うのかを説明するのに困るそうです。みんなが間違えて使ってしまいます。
逆に笑われたりすることもあります。そして、「イントネーションが同じだと聞いたのに」、これとこれとこのことばが発音が違う・・・とか、細かいです。関西弁に比べたら一緒じゃん!と、言いたくなるけど、本人たちにとっては大きな違いでしょうね。
とにかく、三河弁が本当にどえらい好きです。日常的に使えなくなったのが本当に寂しいです。
ここからが本番です!トップ10に突入します。
第10位
地元の美味しいお米
新城に住んでいた最後の数年間、ある方のご好意で毎月のように、農家のお米をいただいていました。一度美味しい米に慣れると、安い米がもう食べたくなくなるので、時々タイミングが合わなかった時は、JAに行って、美味しい米を買うことにしていました。ガラス張りのケースに入っているいくつかの地元の品種から選んで、その場で精米の度合いを選んだり、量ってもらったりして購入します。(新城にいる間は娘たちが3人とも最低一回(9ヶ月)は「JA愛知東 こども農学校」に参加したことがあって、いくつもの意味でJAにお世話になりました。)
こちらに来て、ちょうど農家の米が切れた時から、災害用に取ってあった米を食べきってしまおうという話になりました。三女に米を炊くように頼んだところ、ひと目見て、「私って、田舎育ちだとよくわかった。色とか形とかツヤとかで、この米はマズイと、見ただけでわかる」と。そして、その通り、そのお米が本当にまずかったです。残りがあと少しになった時に、期待して30分ぐらい車を走らせて、JAに買いに行きましたが、米の量り売りをしていないことが判明して、とてもがっかりしました。いくら首都圏とはいえ、県内のどこかで地元の米を作っているだろうと思ったのですが。わざわざJAまで行ったのに、秋田米を買って来てしまいました。はぁ~。
第9位
英語の生徒

一年半前の写真です。このクラスのほとんどの子が今年で10歳になりますが、そのうちの二人は1歳の時から教えていました。
かわいい生徒たちとはもう、会えなくなりました。一番長かった二人は、年少の時から小学校6年まで教えていました。それぞれの生徒の英語の上達、外国語を覚えるコツを掴んでいくのを見るのも楽しかったのですが、人間として成長していくのを見るのもとても楽しかったです。1歳のベビークラスから、小学校3年生まで教えていた子たちもいましたが、去年、ハッピーバースデーを歌って上げた時に、「えっ、あんたたち、もう9歳なの?!本当?!」と、とても信じられませんでした。英語の他に、外国の文化のこと、対人関係のこと、生活における知恵のこと、などなど、子どもたちは習い事では本当に多くのことを学びます。それを積み上げてきた生徒たちの成長をこれから見られなくなってくるのがとても残念です。
第8位
英語の生徒のお母さんたちと大人の生徒
何を隠そう、子どもたちに会うのも毎週の楽しみでしたが、送り迎えの時に顔を出してくれていたお母さんたち(時にはお父さんたちやおばあちゃんたちも)に毎週会うのが楽しみの一つでした。毎回立ち話しかしない人もいましたが、なんとなく絆ができていました。私が引っ越すと書いてあったお手紙をレッスン前に渡したら、読んでから、「先生、もう、ショックで夕飯が作れなくなりました」、「先生、お迎えに来るまでずっと泣いていました」というお母さんたちもいました。新城の親御さんたちが大好きでした。
また、長年ずっと教えてきた大人の生徒も数人いますが、生徒たちにとって、「毎週の安らぎの時間」だった英会話が、私にとってもかけがえのない時間でした。英語を教えただけではなく、私自身が家庭菜園や日本の文化、新城の街について本当に多くのことを学んだだけではなく、人生の笑いと涙と共にしました。
みんなには言っていないけど、例のお手紙をお渡しした週、胸の奥がずっと拳で握られているかのように固まっていて痛くて、自分自身も食事が取れなかったことがありました。そして、笑顔でみんなに最後の挨拶をした直後、泣き崩れたことが少なくなかったです。I miss you all, and I miss our precious times together!
(続く)
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