今月次女が中学校を卒業しました。子どもたちが入園した時はアメリカに住んでいましたので、入園式には参加したことがないけれど、卒園式、小・中の入学式、卒業式と、今までいくつもの式に出ています。けれども、着物を着たことは一度もありませんでした。
こちらの地方の風習では、卒業式は礼服と決まっていて、ほとんど全員の保護者が黒を身にまとっています。これは、アメリカ人の私にしてはとても違和感のあることです。なぜなら、アメリカでは、黒のフォーマルを着るのは、お葬式以外にほとんどありえないからです。おめでたければおめでたいほど、カラフルなフォーマルを着ます。なので、結婚式や卒業式になりますと、参列している人の衣装も含め、会場がとても華やかな雰囲気に包まれます。
けれども、(他の地方の人の話を聞いていると、どうやらこの点では東三河は結構珍しいそうですが)、こちらでの卒業式になりますと、華やかな服を着ているのは、着物姿のお母さんたちだけです。個人的に、私は少なくとも、黒だけは絶対に嫌だと思って、カラフルなスーツを着ることにしています。一番暗くても紺や茶色、時には緑や赤も着ます。
いつか着物を着たいなと思いながらも、自分のを持っていないし、着付けてもらうのも大変そうだし、半分諦めていました。けれども、最近はふたつのことがきっかけで、もしかしたら簡単に諦めなくてもいいかもしれないと思うようになりました。
ひとつは、最近、二人の別々な方に着物を数枚いただいたことです。シミがついていて使えそうにないのもありますが、着られそうなのもけっこうあります。もうひとつは、今年の夏から長女が一年間海外の高校へ交換留学をすることになったので、「行く前に着物を着られるようになろうか?」と、二人で話をして、着付けの体験に行ったことです。「文化の秋」にちなんで、毎年全国規模で11月あたりに開催されているものです。
この体験教室では、新城幼稚園で一緒だったお母さんが先生方のお手伝いをしていました。幼稚園では、「若草学級」という、保護者のための教室が不定期に開催されていますが、三女が年長の時、そのひとつとして浴衣の着付け教室がありました。「あれ?もしかしたら、その教室の提案者だったのですか?」と聞いたら、「そうですよ!」と言われ、ここにも知り合いがいたのかと思うと、少し嬉しかったです。
浴衣の着付け教室で教わったことを、2年ぐらいは実行しましたが、そのうち夜店に浴衣を着て行かなくなったし、そのうち子どもたちも、「夜店に一緒に来ないで!」というようになりましたので、いつしか浴衣をまったく着なくなりました。
けれども、幼稚園の時の教室で習った、浴衣のたたみ方だけは脳裏に焼き付いていました。「ここまで布の無駄がなく、合理的な衣装は世界中どこ探してもあまりないだろうなぁ」と、思ったのを鮮明に覚えています。だから、何年も浴衣を着ていなくても、たたみ方だけは忘れたことがありませんでした。
話は11月の着付け教室に戻りますが、以前からの知り合いがそこで毎年先生をしていることを知っていたので、行く前に連絡をしました。そうしたら喜んでくださって、「足りないものを貸してあげますね」と、言ってくださいました。
結果として、その教室はとても楽しくて、私も長女も着付けをしっかり習おうという決意をしました。

新城文化会館にて 2016年11月
定期的に習い始めてから日はまだ浅いのですが、楽しく通っています。娘はすぐにいろんなことを覚えていますが、私は最初のうち、本当にちんぷんかんぷんで、まったく何がなんだかわかりませんでした。やっと概要や根拠が理解できるようになったところですので、これからはしっかりと覚えて、益々楽しくなるのではないかと思っています。
そこで、やっと自分の着物を手に入れたので、卒業式に着たい!と思うようになりました。時期が少し遅かったので、もう予約できないかなと思いましたが、着付けの先生に聞いたら、その日の朝は空いているよ、着付けてあげられるよと言ってくださいました。やったァ!!やっと着物を卒業式に着ていくことができる!!とても嬉しかったです。
けれども、先生に、「どりあさんが持っている着物は、あまり式に適していないんですよ・・・」と、言われてしまいました。どうやら私が持っている全ての着物は訪問着としてはいいですが、正装用ではないそうです。でもその次の言葉は、「私のをひとつお貸ししますよ!」でした。いやぁ〜、なんとありがたいことでしょう。本当に申し訳なくて、感謝が尽きません。
私はもともと着物を着るのが好きで、高校の交換留学生の時から、いろんな人に借りては着て、借りては着ての繰り返しでした。留学の時の新年の挨拶回り、

静岡県富士市にて 1988年1月
富士市の成人式に出させていただいた時(式の後に喫茶店に行ったらウエイトレスが赤い絞りの着物を着ている私の上にトマトジュースをこぼしました!今から思うと、相当緊張していたことでしょうね。)、

静岡県富士市にて 1990年1月
美容師の知り合いに「着せたいから」と言われた時、

福岡県久留米市にて 1992年3月
神学校の1年目の卒業式の時、

滝元明先生と清子先生と一緒に 1997年3月
そして婚約式の時に着物を着たのを記憶しています。

婚約式にて 1999年3月
その後、6年間強、アメリカに住まいを移し、着物が益々縁遠いものになってしまいました。日本に帰ってきてからは、たま〜に浴衣を着ていたものの、この17年間で着物は後一度だけ着ました。それは、「いいじゃん新城」という、市政番組の新年の番組のためでした。同じ「市民ナビゲーター」をしているひとりの方が詩吟をなさっているので、着物の着付けができます。別の友人に袖が長めの着物を借りて、その方の協力を得て、2012年の新年用の番組に着物姿で出ることにしました。

新城市役所前にて 2011年12月
着物を着ること自体は、決して嫌ではありません。「キツイ」とか、「動けない」とかは、あまり思ったことがありません。私の背は、同年齢の日本人と同じくらいですので、丈はまったく問題ないです。ただ、腕と脚が日本人より長いので、袖がいつも微妙に長さが足りないことが気になります。そして、もうひとつ気になることは、なんと言っても、他人様の高価な物を貸してもらって着ているという点です。
今回も、結局は人の物を借りて着ることになりましたが、久しぶりでしたし、もしかしたら学校の式に着て行けるチャンスは他にないもしれませんので、本当に嬉しかったです。貸してくださった着付けの先生に心より感謝しています。

次女の中学校卒業式の前に 2017年3月
ただし、着物を着ることに普段から慣れていないのと、もともと寒がりであることが重なって、大きな大きな中学校の体育館の中での卒業式は本当に寒かったです!!!腰と足の裏にはカイロを貼りましたが、手や腕が寒くて寒くて・・・。もっと長く着て、午後の英会話のレッスンの生徒に見せたりとかもしたかったのですが、寒いのと、やはり、人の高価な物をお借りしているということが気になって、式が終わって、帰ってきた次女と一緒に写真を撮った後に、脱いでしまいました。
「なんと合理的な作りの服だ」と、いつものように感激をしながら箱に戻して、先生にお返ししました。そしていつかは着付けを頼まなくても、自分で着られる日を楽しみにしています。
久しぶりに着物を着ることができて、本当に嬉しかったです!!先生、ありがとうございました!!これからもよろしくお願いします!
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