年末年始に5年ぶりに一時帰国しました。アメリカでクリスマスを過ごしたのは、11年ぶりでした。
12月17日の早朝、家族4人と5個のスーツケースを車に積んで、中部国際空港に向いました。あれ?5人家族ではなかったですか?と、思われる方・・・はい、その通りです。16才の長女は都合で、名古屋の知り合いの家に一泊させていただいて、次の日に後から一人で来ることになりました。
国際線を一人で?!しかも1回乗り換えがあるのに?!15才と16才の子どもは、一人で飛ぶことは許されているのですが、格安チケット会社ではチケットを売ってくれないので、直接航空会社に電話して購入しなければいけません。少しだけ割高でしたが、これも何とかなりました。長女はチョーワクワク。親はなんとかなるだろうと思いながらも、多少心配。でもそれなりの準備をちゃんとしました。
まずは、①長女が9月に世界新城アライアンスの会議のために、新城市の若者議会の代表の一人として新城市からの使節団でカナダに行きましたが、その時はしっかりと、ちゃんと周囲を見ておきなさいよ、ちゃんと段取りとかを覚えておきなさいよと、さんざん言いました。それから、②アメリカは日本と違って、昔からハーグ条約が尊重され、片方の親もしくは単独で旅行する未成年が入国する時に、親の許可を得ているという、公証人の印のある手紙を持参することが強く勧められています。親の連絡先、誰が空港まで迎えに行くかなど、細かく記載するといいそうです。なので、その手紙も作りました。(新城の公証人の方はとても気さくな方で、段取り自体は難しくありませんでしたが、時間とお金がかかりました。)③乗り換え地であるデトロイトに住んでいる友人に前もって連絡をして、テロや大雪などで立往生になった場合は連絡させてくださいと、避難場所を確保しました。そして、④長女は預け荷物を持っていかなくてもいいように、私物のほとんどを前日から行った私たちに預けて、手荷物だけで行けるようにしました。最後に、「ずっとスマホを見ているんじゃないよ!ちゃんと周りに注意を払っておいてよ!」と、しっかり戒めて、私たちが車で出発をし、長女は手荷物のカバンを転がしながら最寄りの駅まで歩いて行きました。
主人が運転をしながら、私は年賀状の最終的な作業をしていました。日本を出る前に出さなければいけませんから!そしてアメリカまでの旅自体は割合平穏でした。
デトロイトまでのフライトでは、家族揃って最後列でしたが、私と主人、そして次女と三女と二つに席が分かれました。真ん中に乗務員のサービス用のクロゼットがあって、互いを見ることもできず、飛行機の左右で分かれていたので、客室乗務員の担当も違う人でした。着陸の少し前に、反対側の乗務員が私たち夫婦のところに来て、「そちらの席にいるのはお子様たちですよね?礼儀正しくて、本当にいい子たちで、とてもよかったですよ!」と、わざわざ伝えくれました。
その直ぐ後に、また来て、何を言うかと思ったら、「一人、乗り物酔いをしてしまって・・・。」もう、着陸直前で私たちは席から離れることができず、乗務員の方に対応していただいて、本当に申し訳なかったです。でも、最初の印象が良い子たちだったから、少しは苦労が和らいだのかな?!と、慰められます。
デトロイトに着いたとき、一つのスーツケースの背と取っ手の部分が大きくダメージを受けていることに気づきました。手元にあったマジックテープの紐でできるだけ固定して、ミネアポリスまで預けました。ミネアポリスに着いてから、旅行保険に申請するためにダメージを受けた証明をいただけますかと聞きに行ったら、そんなのは普段からやっていないけど、取り替えるためのスーツケースの在庫がある程度あるので、新品と取り替えますよと言われました。まあ、なんと嬉しいことか!前のスーツケースも、気に入っていて、しかも3年ぐらいしか使っていなかったのですが、担当のおばさん曰く、「They just don’t make them like they used to.」(昔のものより質が悪くなったねと言いたい時に使う決まり文句です。)保険の申請をしなくて済むのも嬉しいですし、新品をいただけたことも嬉しかったですが、何よりもその対応と備えが嬉しかったです。
長女は次の日、中部国際空港から出発することになっていました。けれども、私はアラスカの上空を飛んでいる時にハッとしました。とてもいけないことをしてしまったことに気づいたからです。長女も同じ経路、アメリカに着いてからの乗り換えだったのにもかかわらず、米ドルを渡してあげるのをまったく忘れていました。デトロイトでwifiにつながった時に慌ててテキストを送って、とにかく日本を出る前に、空港で残りの円を両替するようにと、指示を出しました。
本人はそれなりのハプニングもある旅でした。また、ミネソタまでの便が延長になって、6時間もデトロイトのゲートで過ごさないといけなくなったりとか。(スマホもwifiもコンセントもあったのに、「ガチ退屈だった~」と言っていました。やはりいくらスマホがあっても今時の若者は退屈する時は退屈するんだと思いました!)米国入国の時は、せっかく作った公証人の手紙については何も聞かれなかったそうです。まあ、でも、なにはともあれ、16才で一人で国際線に乗って来ることができて、そして大惨事にならなかったこと、大きく成長したことが、本当に嬉しかったです。
家族5人揃って、ミネソタで1週間、カルフォルニアでの修養会が1週間、そして主人が日本に帰って、ガールズ4人で再び5日間ミネソタという旅の、はじまり、はじまり・・・!
おまけ: 面白いことに、MSP(ミネアポリスセントポール国際空港)の空港内の表示はすべて英語と日本語のみです。MSPの空港を改装した時は、ちょうど日本のバブル経済のピークの時期でした。私が大学生で、空港で時々日本人のトランジットアシストのアルバイトをしていたので、よく覚えています。また、ちょうどこの時期にMall of Americaという、アメリカで最も大きい、とてつもなく大きいショッピングセンターが造られました。このショッピングセンターに来るためだけのツアーが日本から組まれていたぐらい、日本人がたくさんミネソタを訪れていた時期がありました。これもあって、看板には日本語がつきました。それにしても、フランス語もスペイン語もなく、英語と日本語のみだということにはなんとなく不思議な気がします。
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