インターナショナルスクールのリユニオン

高校時代にドイツのデュッセルドルフにあるインターナショナルスクールに、1年間だけ通いました。3月末に渋谷で開催された同窓会に行ってきました。高校時代と言っても、日本でいうと中3だったし、1年間しか通っていなかったし・・・。同窓会と言っても、一緒に卒業したわけでもないし、対象は3学年にわたる人たちだったし、実際の出席者は6学年ぐらいの人たちだったし、配偶者と一緒に来ていた人もいたし・・・と、要するに、最初からとても日本的ではないリユニオン(「Re + union=再び結合する」)でした。私は1987年に高校を卒業したので、Class of ’87の一員としてこのリユニオンに参加しました。

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私は10才から15才までドイツに住んでいましたが、小学校5年の時から中2の時までは米軍所属の学校に通いました。キンダーガーデンから中2まで125人の生徒しかいませんでした。複式で、私の中1の時の同級生は私を含めて4人でした。この軍所属の学校には高等部はなかったので、中3(アメリカの高1)以上の子どもたちは片道90分のバスに乗って、デュッセルドルフにあるAmerican International School of Düsseldorf (AISD)に通うことになりました。(1986年に「American」を取って、ISDだけになりました。)私が通っていた1983-84年には、流動的でしたが、高等部では、1学年に40人前後いました。

住んでいた環境が、よくある「有刺鉄線に囲まれている米軍基地」とは違って、イングリッシュオンリーで生活しようと思えばできていたものの、やることが少なかった田舎の基地で、常に刺激を求めていた私はドイツ語を学び、町に出て買い物をしたり、自転車で探検したりするのが大好きでした。学校もとても小さかったです。複式だったので、4年間、学校においては知的刺激があまり与えられないままの生活でした。

その後に行くようになったインターナショナルスクールは、私にとって別天地で、夢のようでした。色んな国の人がいたし、軍と関係ないアメリカ人もいたし、いくつもの言語が飛び交っているし・・・。知的刺激に飢えていた私は、水を得た魚のようでした。

実際、この1年間は学問的に私にとってとても重要な1年間でした。国語(英語)の授業では、文章を書く時に、ただ事実や感じていることを述べるだけでなく、根拠を述べないといけないものだということを初めて学びました。社会の授業では、研究レポートの書き方を学びました。(当時はまだワープロ普及以前でしたので、実際使いたい資料や文章をカードにメモして、カードを広げてレポートの構成を考えながらカードを順番に並べていく方法でした。)パソコンの言語(BASIC)の授業を受けることもできました。

そしてドイツ語の授業!最初は初級に行きましたが、”Guten Tag!  Ich heisse Doria.” (「こんにちは!私の名前はどりあです。」)の言い方をやって、教科書を最後までパラパラ見て、それまでの私のドイツ語の勉強がいくらほとんど独学だったとはいえ、これは易しすぎて耐えられない!!と思って、ドイツ語の文法のブの字も知らないのに、いきなり2年目の授業に挑戦することにしました。最初の学期の成績はよくないのは覚悟の上でしたが、学年の終わりまでに成績がちゃんと望ましいところまで上がって、そして何より、自分自身にとってチャレンジのある、刺激のある学びができたことが心より嬉しかったです。

同じ軍の基地から来ていたアメリカ人はみんな学校が終わってすぐバスで帰らないといけなかったけど、私は年間アルバム(アメリカの学校では卒業生限定ではない)の編集委員となって、写真の撮影(’84年のアルバムのスナップ写真の半分ぐらいは私が撮った)、ネガの整理、ページのレイアウトなど、アルバム編集の部活は本当に楽しかったです。けれども、部活に参加するためには、ひとりで90分もかけて電車で帰らないといけなかったのです。それがまたとても好きで、まずは市電に乗って、デュイスブルクという町まで行って、そこで乗り換えて、自分の町まで乗りました。そして線路を渡って塀の下に空いていた穴をくぐって近道を通って帰りました。乗り換えることやひとりで景色を見ながら、または友だちに手紙を書きながら電車に乗っているのが本当に好きでした。

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アルバムに載っている当時の私の写真です。常に一眼レフを首からぶら下げていました。

また、インターナショナルスクールの特質のひとつとしては、様々な人がいるからこそだと思いますが、どんな人でも受け入れられているという、また私にとって天国のような感じでした。小さな米軍基地の学校での私は、なかなかの変わり者で、運動神経ゼロで、いじめとまではいかないけど、かなり浮いていました。なので、変わり者もどんな人でも大歓迎という学校に通えるようになったのは、心が晴れるような思いで、学校が楽しくて仕方がありませんでした。

そんな学校が大好きでした。1年間しか通えなかったのがとても惜しかったです。

けれども、その1年間がまた別な意味で私の人生を変えました。日本人学校から転校してきて、英語がそんなに上手にできない日本人の女の子が数人いました。その子たちと友だちになったり、文化交流の企画として互いの家に泊まりに行ったりすることによって、日本語を習いたいという思いが与えられました。アメリカに帰って高校で日本語を習い始めたからこそ日本への交換留学ができるようになり、私の人生の軌道が決まりました・・・。なので、インターナショナルスクールでの経験がなかったら、私の人生そのものがとても違う方向に行っていたに違いありません。

これらのことがあって、1年間しか通っていなかったとしても、私にとってとても意義深い学校のリユニオンがあると聞いた時、どうしても行きたいと思いました。上にも書いたように、このリユニオンの素晴らしいところは、学校そのものと同じで、どんな人でも受け入れる、中3の1年間しか通っていなかった私でも、大歓迎ということでした。また、ひとつ前の投稿にも書いたように、これがまたちょうど私がTCKのことで色々と取り組み始めた時期だったので、本当にそのタイミングに唖然として、神様の摂理を感じ、期待と少しだけの緊張とで胸を膨らませながら向かいました。

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サードカルチャーキッズの定義そのものにあるように、自分のアイデンティティーをあるひとつの文化に見つけるというよりは、同じような経験をもって育った人々から成り立っているコミュニティーにアイデンティティーを据えることがほとんどです。正に、リユニオンでの交流がこのことを物語っていました。互いに何十年も会っていない人たちだったのに、また、私の場合初めて会った人もいたのに、なんとも言えない親近感が湧いてきたり、昨日別れを告げたばかりだったかのような気持ちで話をすることができました。また、当時の私には考えられなかった、似た経験を持った人々と、日本語で話をしていたのもなんとも言えない不思議な気持ちでした。

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そこには海外からの学生だったゲストも来ていて、ドイツ人、トルコ人、そしてオーストラリアに住んでいるイラン人がいました。ドイツの人とは、アルバム編集部が一緒でしたので、彼が私のことを覚えていて、「あの学校に何年もいたけど、軍から来ていたアメリカ人の中には、2つのタイプの人しかいなかったのが本当に印象的だった。『アメリカ軍!イケイケ、ゴーゴー!』という人と、『私をあの人たちと一緒にしないでよ!』という人としかいなかった。中間がなかったのがとても印象的だった。」と、言っていました。ちょうどその前に、一番仲良くしていた日本人女性と、「なんで私たち、学年も違うのに、あそこまで仲良くなれたのかね?」「たぶん、私は他のアメリカ人と一緒にされるのがイヤだったから、他の国の人たちと友だちになりたかったというのもあったのだと思う」と、ちょうど話していたところだったので、彼の観察に微笑まざるを得なかったのです。

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もうひとつ、面白かったエピソードは、学年が2つ上だった日本人男性が、私がテーブルに向かって彼の方に歩いていたら、「I remember you! Just now, when I looked at your face, it just came back to me! You had glasses, right, and you had short hair? And you were really short?」(「思い出した!今、顔をふと見たら、いきなり思い出した!メガネと、短い髪の毛だったよね?そして背が本当に低かったよね?」)と、いきなり英語で少し大きい声で言われて、「Yeah, I was REALLY short!」 と、答えて、笑ってしまいました。ふとした時に人は思い出すもんだと思って、笑って、そして覚えられていたことがちょっぴり嬉しかったです。

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懐かしいものを持ってきた人もいました!アメリカの高校でスポーツで実績が優秀な人が入手できる Letter Jacket です。

このリユニオンの時間自体もとても嬉しかったですが、それよりも、やはり、似た境遇で育った人々とのコミュニティーに少しでも繋がることができて、ある意 味、心の拠り所がひとつ増えたというか、これから、交流を持ち続けられることがとても幸せです。夜行バスで豊橋駅経由で帰って、芯まで疲れきってしまいましたが、それだけ充実した時間を過ごすことができて、行った甲斐があったリユニオンになりました。AISDのClasses of ’85, ’86, ’87の皆様、包容的にこんな私でも受け入れてくださって、心より感謝致します! Way to go, ALTS!